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染の小道 | July 21, 2019

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幻の「地下鉄西武線」

幻の「地下鉄西武線」

(写真:戸山ケ原の陸軍大久保射撃場跡。現在は戸山公園となっている)

現在、地下化事業が進捗中の西武新宿線だが、大正末期の敷設時期にも地下鉄路線が検討されていた。国立公文書館の陸軍資料には、1926年(大正15)3月31日に西武鉄道が陸軍省へ提出した「請願書」(西鉄第七九九号)、陸軍省が作成した稟議書類(審案・壱第六八一号)が保存されている。高田馬場駅が正式に開業したのち、いわゆる西武電車を「地下鉄」化して陸軍用地の地下を突っ切り、早稲田大学付近の地下駅へと乗り入れる計画だ。

西武鉄道の計画では、山手線・高田馬場駅の東西どちらかに設置された西武高田馬場駅より、南へ200mほど下がった山手線の内側(東側)地点、現在の「大久保スポーツプラザ入口」交差点のすぐ北側にある、日本美容専門学校本館あたりから地下へともぐり、現在の補助72号線(諏訪通り)と重なるように高田八幡(穴八幡)方面へと抜けていくものだった。

地下鉄「西武線」の地下工事は着々と進むかに見えたのだが、ある時期を境に計画はすべて見直しとなってしまう。その後、西武鉄道は高田馬場駅を起点(終点)とする時代が長くつづき、戦後になると早稲田方面への延長ではなく、ターミナルとしての成長がいちじるしい山手線・新宿駅への乗り入れを検討しはじめ、1948年(昭和23)に改めて延長工事の免許を取得している。

地下西武電車のルート参考図

西武鉄道の「請願書」に添付された、地下西武電車のルート参考図。西武高田馬場駅の位置が決まっていないため、山手線内側の西武線ルートが途中から記入されている


西武鉄道社長・指田義雄から、陸軍大臣・宇垣一成あてに出された「請願書」

西武鉄道社長・指田義雄から、陸軍大臣・宇垣一成あてに出された「請願書」

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このコラムでは、下落合と上落合を中心に周辺で起きた物語を綴るブログ「落合道人」から、選りすぐりの記事を紹介して参ります。

落合道人 おちあいどうじん

http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/
日本橋出身。1970 年代半ばの高校生のころより落合地域に興味を持ち、学生時代から住みつく。以来、各地を歩きまわり多彩な物語を発掘中。ネットで「落合道人」「わたしの落合町誌」などを執筆。下落合在住

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