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染の小道 | March 23, 2019

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校庭に飛行機が落ちてきた!

校庭に飛行機が落ちてきた!

1945年(昭和20)5月25日の夜半、高田町の学習院下に撃墜されたB29が墜落したことは、記憶に残っている方がいるかも知れない。だが、それよりも20年ほどさかのぼった大正時代の末、飛行機が下落合へ落ちてきた事件は、覚えている方も少ないだろう。

1925年(大正14)3月6日の夕刻、目白崖線の丘上に墜落したのは軍用機ではなく、当時から東京上空をかなりの頻度で飛行しはじめていた民間の航空機だ。この日、同機をチャーターしていたのは、おそらく新宿駅の近くにオープンしたばかりの「カフェーブラヂル」という喫茶店だった。1925年(大正14)3月7日付の読売新聞によると、墜落した飛行機は複葉機で、「機体の下翼を破壊」したと書いてあるから真っ逆さまに落ちたのではなく、着陸態勢を取ったまま地面に叩き付けられたと思われる。

1925年(大正14)作成の「新井1万分の1地形図」に収録された墜落現場の研心学園

1925年(大正14)作成の「新井1万分の1地形図」に収録された墜落現場の研心学園

トラブルが発生したとき、パイロットは上空から闇に包まれはじめた目白崖線沿いを見回して、まるで半島のように突き出たところに薄っすらと見える、大きな空き地か草原のようなスペースへ着陸しようと機首を向けたのだろう。

しかし、それは空き地でも草原でもなく、研心学園の広い校庭だった。パイロットは、グラウンドへの軟着陸を試みたのだろうがうまくいかず、地面に強く衝突してしまったのだ。研心学園とは、1923年(大正12)に佐藤重遠・フユ夫妻によって下落合に創設された私立学校で、後の目白学園・目白大学のことだ。

中井(下落合)御霊社裏の坂道から、研心学園(現・目白学園=目白大学)を望む

中井(下落合)御霊社裏の坂道から、研心学園(現・目白学園=目白大学)を望む

「学校え飛行機 飛行士軽傷す」。1925年(大正14)3月7日付の読売新聞の記事

「学校え飛行機 飛行士軽傷す」。1925年(大正14)3月7日付の読売新聞の記事

川西航空(後の日本航空)が1920年(大正9)に製造した2人乗りの民間飛行機「川西一型」

川西航空(後の日本航空)が1920年(大正9)に製造した2人乗りの民間飛行機「川西一型」

このコラムでは、下落合と上落合を中心に周辺で起きた物語を綴るブログ「落合道人」から、選りすぐりの記事を紹介して参ります。

落合道人 おちあいどうじん

http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/
日本橋出身。1970 年代半ばの高校生のころより落合地域に興味を持ち、学生時代から住みつく。以来、各地を歩きまわり多彩な物語を発掘中。ネットで「落合道人」「わたしの落合町誌」などを執筆。下落合在住

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